2017年2月19日(日) 礼拝 10:50-12:00

弥生台キリスト教会の牧師である東條隆進兄をお迎えして礼拝が行われました。
東條兄は当教会の代表も務めてくださっています。
本日は聖餐式も執り行われました。
これからも東條兄の健康が守られて主の器としてご奉仕ができますように。

礼拝メッセージ タイトル
 「神様への献げ者としての私」

メッセージ


聖餐式


祝祷









いつものように一人一人のこどもに
手をおいて祈ってくださいました。

<メッセージの聖書箇所>

マルコ9:38~50

9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」

9:39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。

9:40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。

9:41 あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。

9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

9:45 もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

9:47 もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

9:48 そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

9:49 すべては、火によって、塩けをつけられるのです。

9:50 塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」







注)マルコの福音書の9:44と9:46はもともと節が欠けています